祇園祭の歴史〜中世
京都という土地で「戦争」というと、昭和初期の第二次世界大戦ではなく、「応仁の乱(1467)」を指すことが少なくなく、歴史の単位の違いに驚くことが多い。祇園祭もこの「戦争」により中断を余儀なくされる。
応仁の乱以前に存在した58の山鉾のうち、33年後の明応9年(1500)に復興したのは、27の山鉾だった。また、それまで巡行の順番を巡って争いが絶えなかったことから、この頃から籤でその順番を決めるようになった(籤取り式)。この行事が500年もの時間を超えて現在も残り、祭の見せ場のひとつになっていると当時の人々は考えたことがあっただろうか。
明応年間の再興から江戸初期にかけて神事や行事は毎年ほぼ一定の、現在に近い内容に固まっていった。安土桃山時代(16〜17世紀)には商工人の活躍が盛んになったことから、祭への投資が富裕層の民衆のステイタスとなり、一層祭が華やかに活気づいてくる。今日見ることのできる豪華な装飾品の多くはこの時代の輸入品であり、当時の京都の町衆の富と心意気を現代に伝えている。
