南観音山の歴史
南観音山の前身「普陀落(ふだらく)山」は応仁の乱(1467〜77)以前に存在し、当時は北観音山と隔年交代で山を出していた。
乱後の明応9年(1500年)に復興した際には「観音普陀落」(かんのんふだらく)と呼ばれたと記録されている。「南観音山」あるいは「下り観音山」と呼ばれるようになったのは江戸時代である。
これまで南観音山は大火による存続の危機に瀕され続けてきた。天明の大火(天明8年・1788)では本尊の頭部を残して焼失してしまい、現在の胴体部分は江戸時代に復元された。元治の大火では古い記録を焼失してしまい、巡行の参加も一時中断してしまう。復興後、明治5年から南観音山は毎年巡行することになり、巡行の最後を飾ることになった。